「バーフバリ」について

1と2を観ました。「バーフバリ」です。2月ごろでしょうか。初めてネットで観測して、面白そうだと思ったので、DVD借りました。おもしろかったです。インド映画は初です。

 

バーフバリという王の話ですね。正確に言うとバーフバリは父とその子供の2代を指します。父親の方は王位継承寸前まで行きますが、謀略により王宮を追われ、暗殺されます。その赤子が遠くの村まで逃がされ、成長し自らの運命を知り、王の座を取り戻すという話です。何がいいって、バーフバリの男前さですね。なんでもできます。バーフバリならできます。なので、暗殺されるときの悲しみと不遇さが際立ちます。死ぬ寸前まで優しいんですよ。そして、2代目の反撃になるとことさら応援しちゃいますね。

 

インドだからでしょうかね、2代目バーフバリは運命をけっこうすんなり受け入れ、母の願いを叶え、進んで王になるんですよ。自分はバーフバリの生まれ変わりであるということを理解します。明確に生まれ変わりという言葉は出てこないですが。自分は何なのかと、個性を模索するという苦悩はありません。民衆の「バーフバリが戻ってきた!」という歓喜に応えます。僕が見てきた多くの映画では、自分は父とは違うのだ、自分らしい生き方を探したいというパターンが多かったので少し驚きましたね。バーフバリは時代設定も現代とは違いますし、その点も考慮しないといけないかもしれませんね。バーブバリ以外のインド映画はどうでしょうか。気になりますね。どうでしょう。

 

 

よく見る夢を整理について

夢を見るのは好きですね。他人に比べて自分がどの程度覚えられているかは知りませんが。回数的によく見る夢はあると思います。多くの人が。多分に漏れず、僕もよく見る夢があるので、なんとなく整理してみます。もちろん、よく見る夢と言っても、風景のディティールは違います。たぶん。また、夢の中の僕が感じていること、考えていることも多少異なります。たぶん。場面展開やパターンがだいたい同じということです。

ところどころ差異はあるものの、またあの夢かと思える程度の夢を列挙します。なるべく場面展開を順に追っていきます。差異部分もカッコにくくり書きます。カッコにくくっていない文がその夢の典型だと自分で思います。差異に分岐しても、また典型へと戻ることが多いです。

 

①大学時代の京都の商店街にある(見知らぬ繁華街・ホテルの中にある・でかい民宿にある)カラオケ屋に入る。扉を開けると広いホールであり、受付はその一角にある。出入り口の面していない壁に個室のドアが並んでいる(ホテルの場合はゲームセンターへと続くドアが1つある)。ホールは小学校の体育館くらいあり、ソファーと丸い机が並べてある。僕は「空間の使い方へただな」と思っている。ホールの天井はとても低い。そして全体的に薄暗く、部屋の隅まで光が届いていない。床は赤い絨毯が敷いてある。個室に入るとモニターと、モニターの下にあるカラオケ機器、1人掛けソファーが2つある。とても狭い。入るのみで、夢が終わる(入り、歌う)。

 

②祖父母の家に続く石段の途中に立っている。「神社に参拝しよう」と(スーツを着た見知らぬ男たちが僕を捕まえようと庭に集まっているため、「神社に逃げよう」と)思う。祖父母の家に続く石段の脇を上っていくと、神社がある(延々と歩くのみで夢が終わる)。僕は「この神社はあまり人に知られていない神社だ」と知っている。実際にこの神社は現実には存在しない。神社は枯れた竹に囲まれており、太陽の光もあまりとどかないため、色彩が少なく灰色がかった景色になっている。地面は竹の葉に覆われている。門を抜けると本殿がある。本殿は2つの末社に挟まれ、横に広い見た目をしている。石段から本殿までも傾斜がある。本殿の裏に回り込む(もしくは門で歩みを止める)。

 

滋賀県の(京都の・大阪の・見知らぬ)駅にいる(ホテルのドアを開けると駅だった)。夢の中の僕はいずれかの地名を明確に認識している(していない)が、多くの場合は存在しない駅舎である。切符を買い(切符をすでに手にしている)改札へと向かう。改札を抜ける(改札を飛び越える)。ホームへとたどり着く(切符を買い忘れて切符売り場へ戻る・何かから逃げるために切符売り場へ戻る)。ホームの天井は高い。3番ホームまであり、2番ホームに立っている。2両編成の電車に乗り込み、座る(延々電車が来ない)。座れて(電車に乗れて)安心する(本当に正しい電車に乗れたのか不安になる)。電車には下校中の高校生が主に乗っている。

 

④京都の商店街を歩いている。道の途中が大きな商業施設の廊下と同化しているため、廊下へと続くドアを開ける。廊下は曲がり角が多い(廊下は短く、出口がすぐ見える)。廊下は塗装のせいか、もしくは照明のせいかわからないが青い。廊下の一角に100円ショップがある。100円ショップ内はとても明るい。廊下を歩いて抜ける(走り抜ける)。出口のドアを抜けると、元歩いていた道の続きに出る(外に出ず延々廊下を行ったり来たり走り続ける・道に出たものの、商業施設へと戻り延々廊下を行ったり来たり走り続ける)。道を右に曲がり、坂道を登っていく。

 

⑤木に囲まれた道を歩いている。神社に参拝しようと(観光のため神社に行ってみようと)思う。(最初から目的の神社の前に立っている)。思っていた神社と全く異なるので困惑する。次の瞬間には神社は代々の松江藩主を祀っていると知っている状態になる。夢の中の僕は神社と思っているが、見た目は小さいお堂である。お堂への道はなく、ただ坂を上るしかない。坂を上るとひとつ目のお堂がある。前面は格子で、中が見えるが畳が敷いてあるだけで何もない。広さは4畳ほど。横から裏へと回ると、3つ同じようなお堂が並んでいる。向かって左と真ん中のお堂は扉により中が見えない。右側のお堂は最初のお堂と同じで中が見える。右のお堂へと歩みを進める(そのまま帰る)。中には死体がある(ない)。黒くなった死体には虫が集っており、視界は虫に包まれる(視界は虫に包まれず、引き返す)。

 

⑥老人が2mくらいの高さがある崖の上に立っている。僕の視界には崖と老人と崖の背後に迫る木々しか見えない。崖の表面は土がむき出しになっている。老人は腰が曲がっており、杖を突いている。崖の突端に立っている老人は前に傾いていき、落ちそうになる。しかし、そのまま落ちずに最初の体制に戻っている。以下、落ちそうになっては落ちないの繰り返し。

 

⑦豆電球が照らしている天井と壁の境に吸い込まれていく。暗闇に、黄金に光る涅槃仏(座禅を組んだ大仏)がある。光に照らされているわけではなく、それ自体が薄い光を放っている。大仏は大変大きく、涅槃仏の顔の前に立っていては足元が遠すぎて見えない。大仏を見ている。

 

 

⑦は子供の時によく見てました。最近は観てません。

 

 

 

 

 

 

 

「祈りの効用について・祈らせてくれ!」について

PCはまだ買ってません。RとVの調子が戻ってきました。もうちょっとお金を貯めてからですかね。

 

タイトルです。僕けっこう祈ってるんですよ。友人とかお世話になった人とか。10人くらいですけどね。寝る前とか、移動中とか合間に。「●●は幸せになれるように」と。かれこれ5年くらいになると思います。ひとりひとりの名前を心の中で唱えて「幸せになってくれ」と。神に祈ってるわけじゃないですけどね。虚空に向けてです。虚空に。特定の宗教に帰依してるわけじゃないんで。

神という言葉が出てきましたね。個人的に神や仏に近づかないようにしてるんですよ。寺社仏閣行くのが好きなくせに。精神的に近づかないようにしてるんですよ。形としては一連の流れはやります。何も思ってません。仏壇も墓にもここ何年も参ってません。これは個人的な理由です。あんまり精神的なよりどころにしたくないんですよね。信じてないということではないでしょう。信じてないならそもそも「よりどころにしたくない」という発想は出てこないでしょう。「よりどころにしている」という逆パターンも暗に内包してますもんね。家族も誰も知りません。僕の内部のことですから。

祈りについてです。いざというときに祈ってるのです。「幸せになってほしい」。幸せになったらいいのです。幸せじゃないときに駆け付けたいという思いがあります。あるだけで、本当に実行できるかは知らないです。

祈ったところで実際に相手が幸せになるわけはないですよね。死んだ人もいますし。祈ってるのに、行動できてないじゃんという気持ちは一入でしたね。効用はないです。でも祈らせてくれ!善い人間になるためです。お世話になった人を忘れたくないですし。恩も受けました。相手は恩を与えたとは思っていない事柄でしょう。でも忘れたくないのです。自分勝手に祈ってます。

欲しいもの・したいことについて

雪降ってましたよね。最近。2.3日積もってました。来週も寒いらしいですね。今週は暖かかったですけど。

 

年が明けて、握力を鍛えています。握力ないな~と思うことがあったので、鍛えて強くします。つまみを回転させると重さが変えられるタイプのものを買いましたので、これ一つで広く対応できます。しかも2つ買ったので、両手を一度にできて大変良いです。楽です。体を動かしたりするのは嫌いではないのですが、それに至るまでがずいぶん大変ということです。一度鍛え始めたら苦ではないです。僕にとっては購入が一番の一念発起です。

 

で、タイトルです。

 

キングスマン2」観たいですね。1は観たことないですが。TUTAYA言っても借りられてるんですね。今日もチェックしましたが、借りられていました。1は結構最近やってたんですね。予告見ても面白そうだったので、知らなかったことを悔やみます。2は映画館で観たいです。

 

PCが欲しいです。ノートパソコンを使っているのですが、大学入学の時に買った。キーボードのRとLとVの効きが悪くなってきました。この文章を書く時も何回も押さないと反応しない状況です。ブログ書く時など、こいつらがハードルを上げます。大変なストレスです。LとVはあんまり使わんですよね。ストレスはなるべく減らしていきたいですね。

 

したいことと言いますか、これからも続けていきたいことです。

本を毎日読んでます。年明けてから1日40~50ページほど。これなら一冊を1週間もあれば読み切れますよね。これを続けていきたいと思ってます。

 

 

淡白な文になってますね。もうすこし悲しみに背中を押されているような文章を書きたいです。怒りで文章を書いているころもだいぶ昔にはありましたが、あれはいけませんね。まず文章が支離滅裂になりますし、自分が書きたいこととなんだかずれていくのです。感覚の問題ですね。どんな感覚でしょう。

 

 

11月について

なかなか忙しい日々でした。仕事ですね。仕事が忙しかったの。

漫画と映画とゲームですかね。小説は「Another」読みました。綾辻行人は深泥丘シリーズが好きで、ホラーも好きなので買いました。ミステリ系は読んでないですね。「Another」は若干ミステリも入ってました。

面白かったです。鳴というキャラがたってたのが良かったです。小説なんか面白いのないですかね。今まで読んだことのない作家の本を探すのがだるいんですよね。チャレンジしないといけないと思い、思いながらも店に並んだ本を見るにつけて手を出さない。そんな感じです。漫画はどんどん買っていくんですけどね。

宝石の国」も買いました。市川春子は短編集を持っていて、大変好きなんです。アニメ化しましたし、いい機会なので買いました。アニメは観てません。「Another」もアニメやってましたね。これもアニメは観てません。きっかけがあれば買うんでしょうかね。「Another」はこれアニメやってたなと思い買ったんです。

アンテナ張ってないと気が向かないですね。そうでしょうか。漫画についてはTwitterでたくさん情報が入ってくるのですが、小説はあんまり入ってこないですね。小説について呟いている人をフォローしましょうか。

 

来週は京都に行ってきます。寒いんでしょうね。体感的には今住んでるところとあんまり変わらないんですが、家人からは寒いだろうねって言われます。どこ行こうかと考えてます。どうせ美術館でしょう。

ポポの実について

家の裏にポポの木が植わっているんです。僕も含め家族はポポと呼んでますが、ポポーやポーポーと言うらしいですね。子供の時に、どこからか頂いたポポがおいしくて、種を植えました。それが予想外に成長し、今では十数の実をつけるようになりました。

一昨年、昨年と多く収穫して食べてました。今年の分を今日拾ったのですが、地面に落ちたポポは赤黒く変色しており、食べられるのはたったの2つのみでした。

9月の中頃に今年もたくさん実ったなと確認していましたが、忘れていました。今日は暑くなったので、窓を開けた時、ポポの木が目に入り「しまった」と思いました。そして収穫したのが2つです。最近仕事が忙しく、頭から抜けていました。少し残念ですが、大切に食べようと思います。

 

 

お盆をはさみ、もう秋です。お盆にはホラー小説を読みました。ハードカバー含め、知らない作家に手を出しました。特によかったのが「ししりばの家」です。作は澤村伊智です。ししりばという家に憑いている怪異に襲われる話です。ホラー作品では怪異に対して登場人物は成す術なく死んでいくのがパターンですが、この作品は少々異なります。

違う怪異を登場させて、続編を書いてほしいです。後半の追い上げは少し驚きましたが、おもしろかったです。

 

他には「スパイダーマン ホームカミング」「エイリアン コンベナント」を観ました。エイリアンは特によかったです。「プロメテウス」はぱっとしない印象でしたが、「コンベナント」の方は神話みたいでした。ストーリーもよかったですが、エイリアンが活躍してくれてたいへんうれしかったですね。ビジュアルかっこいい。

 

初めて絵を買ったについて

「いや~前回の日記から随分と日が経ってしまいました」ということは書きたくないのですが、冒頭につい書いちゃいますね。リアルタイムで観てない人にとっては、大変どうでもいいですし、この文章が過去のものになり、日記の数も増え、埋もれていくと何の意味のない文章になってしまいますし。

「T2 trainspotting」も観ましたし、「ジョン・ウィック2」も観ました。『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』、『バッタを倒しにアフリカへ』を読みました。今は『日本文学の発生 序説』を読んでます。本を読むのをさぼっていたので、再開しました。なぜなら、友人に感化されたからです。友人は本屋で立ち読みしているときに「教養は語彙である」という一文に感銘を受け、最近本をよく読み始めたそうです。このような話を聞き、負けられないと思い、再開した次第なのです。

 

タイトルの通り、絵を購入しました。どこで?個展でです。正確には2人でやっていたので、二人展です。二人展と銘打ってありました。一方は油絵、もう一方は陶芸です。

もう少し次第を詳細に書きます。7月の中頃に出張で大阪に行き、フリーの日があったので京都に行きました。作家とは面識がありませんでした。その時に開催されていることも知りませんでした。つてがありました。紹介で観に行きました。大変良かったのです。作家から話を聞きました。絵には一つの世界観があり、その世界観全体についてと、ひとつひとつの絵について解説していただきました。その時は1人で展示しており、2週間後に展示替えをして2人でやるという日程でした。なので、行きました。そこで買ったのです。

買った理由は僕が手の出せる値段であったことと、綺麗だったからです。この絵を独占できる権利です。毎日この絵に描かれた、異世界の夕日を拝めるのです。

 

冒頭で書いた友人とこの作家には共通することがあります。人に臆せず、恥ずかしがらずに自分の感じていること、世界観を話せるのです。僕が相手の立場だったら、本に書いてあることに感化されて読書を始めたというセリフは恥ずかしくて言えません。絵の設定について熱く語れません。恥が先に来ます。作家にとってはそれも仕事のうちだと思ったら、話さずにはいられないのでしょうが。

僕はこのことをさぼっていました。何をどう感じたのかを、自分を極力薄く、薄くしていました。このブログは、壁に話しているようなものでした。壁になら自分の感情をぶつけられます。こういう動機で始めたところもありますしね。ほんとか?そうだったか?

作家と話してるとき、すごいなと思いました。すごいなと思う自分を恥じました。この称賛には野次馬が珍しいものを囃し立てるようなものを含んでいたからです。現在は改め、もっと話を聞きたいなと思っています。世界観も魅力的ですし、絵自体も僕好みのものです。光が好きなのです。

また、個展を開催するときには手紙をもらうことになっています。楽しみでなりません。

 

ついでに、後輩の墓参りに行ってきました。観光地の真隣で、行く途中も人込みをかき分けかき分けお寺にたどり着きました。「おいおい、死んでもこんなキッチュな場所に納まるとか、お前らしいな!」と思いました。線香を焚きました。