よく見る夢を整理について

夢を見るのは好きですね。他人に比べて自分がどの程度覚えられているかは知りませんが。回数的によく見る夢はあると思います。多くの人が。多分に漏れず、僕もよく見る夢があるので、なんとなく整理してみます。もちろん、よく見る夢と言っても、風景のディティールは違います。たぶん。また、夢の中の僕が感じていること、考えていることも多少異なります。たぶん。場面展開やパターンがだいたい同じということです。

ところどころ差異はあるものの、またあの夢かと思える程度の夢を列挙します。なるべく場面展開を順に追っていきます。差異部分もカッコにくくり書きます。カッコにくくっていない文がその夢の典型だと自分で思います。差異に分岐しても、また典型へと戻ることが多いです。

 

①大学時代の京都の商店街にある(見知らぬ繁華街・ホテルの中にある・でかい民宿にある)カラオケ屋に入る。扉を開けると広いホールであり、受付はその一角にある。出入り口の面していない壁に個室のドアが並んでいる(ホテルの場合はゲームセンターへと続くドアが1つある)。ホールは小学校の体育館くらいあり、ソファーと丸い机が並べてある。僕は「空間の使い方へただな」と思っている。ホールの天井はとても低い。そして全体的に薄暗く、部屋の隅まで光が届いていない。床は赤い絨毯が敷いてある。個室に入るとモニターと、モニターの下にあるカラオケ機器、1人掛けソファーが2つある。とても狭い。入るのみで、夢が終わる(入り、歌う)。

 

②祖父母の家に続く石段の途中に立っている。「神社に参拝しよう」と(スーツを着た見知らぬ男たちが僕を捕まえようと庭に集まっているため、「神社に逃げよう」と)思う。祖父母の家に続く石段の脇を上っていくと、神社がある(延々と歩くのみで夢が終わる)。僕は「この神社はあまり人に知られていない神社だ」と知っている。実際にこの神社は現実には存在しない。神社は枯れた竹に囲まれており、太陽の光もあまりとどかないため、色彩が少なく灰色がかった景色になっている。地面は竹の葉に覆われている。門を抜けると本殿がある。本殿は2つの末社に挟まれ、横に広い見た目をしている。石段から本殿までも傾斜がある。本殿の裏に回り込む(もしくは門で歩みを止める)。

 

滋賀県の(京都の・大阪の・見知らぬ)駅にいる(ホテルのドアを開けると駅だった)。夢の中の僕はいずれかの地名を明確に認識している(していない)が、多くの場合は存在しない駅舎である。切符を買い(切符をすでに手にしている)改札へと向かう。改札を抜ける(改札を飛び越える)。ホームへとたどり着く(切符を買い忘れて切符売り場へ戻る・何かから逃げるために切符売り場へ戻る)。ホームの天井は高い。3番ホームまであり、2番ホームに立っている。2両編成の電車に乗り込み、座る(延々電車が来ない)。座れて(電車に乗れて)安心する(本当に正しい電車に乗れたのか不安になる)。電車には下校中の高校生が主に乗っている。

 

④京都の商店街を歩いている。道の途中が大きな商業施設の廊下と同化しているため、廊下へと続くドアを開ける。廊下は曲がり角が多い(廊下は短く、出口がすぐ見える)。廊下は塗装のせいか、もしくは照明のせいかわからないが青い。廊下の一角に100円ショップがある。100円ショップ内はとても明るい。廊下を歩いて抜ける(走り抜ける)。出口のドアを抜けると、元歩いていた道の続きに出る(外に出ず延々廊下を行ったり来たり走り続ける・道に出たものの、商業施設へと戻り延々廊下を行ったり来たり走り続ける)。道を右に曲がり、坂道を登っていく。

 

⑤木に囲まれた道を歩いている。神社に参拝しようと(観光のため神社に行ってみようと)思う。(最初から目的の神社の前に立っている)。思っていた神社と全く異なるので困惑する。次の瞬間には神社は代々の松江藩主を祀っていると知っている状態になる。夢の中の僕は神社と思っているが、見た目は小さいお堂である。お堂への道はなく、ただ坂を上るしかない。坂を上るとひとつ目のお堂がある。前面は格子で、中が見えるが畳が敷いてあるだけで何もない。広さは4畳ほど。横から裏へと回ると、3つ同じようなお堂が並んでいる。向かって左と真ん中のお堂は扉により中が見えない。右側のお堂は最初のお堂と同じで中が見える。右のお堂へと歩みを進める(そのまま帰る)。中には死体がある(ない)。黒くなった死体には虫が集っており、視界は虫に包まれる(視界は虫に包まれず、引き返す)。

 

⑥老人が2mくらいの高さがある崖の上に立っている。僕の視界には崖と老人と崖の背後に迫る木々しか見えない。崖の表面は土がむき出しになっている。老人は腰が曲がっており、杖を突いている。崖の突端に立っている老人は前に傾いていき、落ちそうになる。しかし、そのまま落ちずに最初の体制に戻っている。以下、落ちそうになっては落ちないの繰り返し。

 

⑦豆電球が照らしている天井と壁の境に吸い込まれていく。暗闇に、黄金に光る涅槃仏(座禅を組んだ大仏)がある。光に照らされているわけではなく、それ自体が薄い光を放っている。大仏は大変大きく、涅槃仏の顔の前に立っていては足元が遠すぎて見えない。大仏を見ている。

 

 

⑦は子供の時によく見てました。最近は観てません。