「祈りの効用について・祈らせてくれ!」について

PCはまだ買ってません。RとVの調子が戻ってきました。もうちょっとお金を貯めてからですかね。

 

タイトルです。僕けっこう祈ってるんですよ。友人とかお世話になった人とか。10人くらいですけどね。寝る前とか、移動中とか合間に。「●●は幸せになれるように」と。かれこれ5年くらいになると思います。ひとりひとりの名前を心の中で唱えて「幸せになってくれ」と。神に祈ってるわけじゃないですけどね。虚空に向けてです。虚空に。特定の宗教に帰依してるわけじゃないんで。

神という言葉が出てきましたね。個人的に神や仏に近づかないようにしてるんですよ。寺社仏閣行くのが好きなくせに。精神的に近づかないようにしてるんですよ。形としては一連の流れはやります。何も思ってません。仏壇も墓にもここ何年も参ってません。これは個人的な理由です。あんまり精神的なよりどころにしたくないんですよね。信じてないということではないでしょう。信じてないならそもそも「よりどころにしたくない」という発想は出てこないでしょう。「よりどころにしている」という逆パターンも暗に内包してますもんね。家族も誰も知りません。僕の内部のことですから。

祈りについてです。いざというときに祈ってるのです。「幸せになってほしい」。幸せになったらいいのです。幸せじゃないときに駆け付けたいという思いがあります。あるだけで、本当に実行できるかは知らないです。

祈ったところで実際に相手が幸せになるわけはないですよね。死んだ人もいますし。祈ってるのに、行動できてないじゃんという気持ちは一入でしたね。効用はないです。でも祈らせてくれ!善い人間になるためです。お世話になった人を忘れたくないですし。恩も受けました。相手は恩を与えたとは思っていない事柄でしょう。でも忘れたくないのです。自分勝手に祈ってます。