母親の自殺未遂と、仕事を辞める可能性について

母親が自殺未遂しました。驚きですね。僕はすぐ実家に帰って、現在アパートに戻ってきた状態です。母の状態は、今もベッドの上で管につながれています。生きるか死ぬかの問題は、死ぬ可能性もあるということです。

 

ということで、仕事を辞める可能性が出てきました。すぐにではないですがね。母親の自殺未遂により、原因を突き止めようと家探し。幾ばくかの借金が判明。仕送りしなきゃいけませんね。入院費も発生。お金が必要ですね。後遺症が残る可能性も。看病しなきゃいけませんね。後遺症が残らなくても、ケアが必要でしょう。たぶん、何事もなく退院しても、母は荒れるでしょう。予想です。

祖父母は再び、同じことが起こることを恐れています。兄1人では看病がきついでしょうね。見守る眼は多いことに越したことはないですし、家族と相談して戻ることにしました。仕事を辞めると、お金の問題が難しくなりますが、実家の近場でなんとか探します。

 

という現状です。なぜこんな日記を書いたかというと、感情の吐露です。

近況について

近況ですが、前の記事に書いたように、PS4を買いました。それ以外のことを書きますね。

 

うしおととら」全巻買いました。「金田一少年の事件簿」全巻買いました。今敏の「パプリカ」「千年女優」観ました。「ホビットの冒険」の3作目観ました。

漫画、ゲーム、小説、いろいろやって、観てます。

 

仕事にもだいぶ慣れてきて、脳にも余裕が出てきた感じです。未来をみると、このままこの調子で行くのかな、という感想を抱きますが、所詮は想像なのでわかりません。不安は今のところなく、「やってるなー」という感想が浮かびます。

 

わざわざ不安要素を探すのは癖ですね。あるていどの先はみえます。さらに先はみえませんが、いつも想像してしまうのです。先ではなく、過去をみましょう。過去は良くみえる気がしますね。どうでしょう。個人差がありますね。

 

過去です。過去。池澤夏樹の「スティルライフ」を貸しました。好感触でした。でも僕は「きれいな文章ですよね」という言葉しか返せませんでした。どう受け取られたのでしょう。わからないですね。その人は、絵を描くのですが、恐らく、きれいな絵を描くのでしょう。僕は何もつくることはできません。きれいなものは好きですが、享受することしかできません。今敏の「パプリカ」もきれいな作品でした。「スティルライフ」のきれいとは違うのでしょうか。少し違うと思います。過去です。続いてます。

 

近況でした。

 

 

 

「blood borne」について

PS4買ったので、「blood borne」買いました。「blood borne」やりたいからPS4買った、の方が正しいです。おもしろかったです。発売してから結構時間経ちましたね。

 

前作とは少し毛色が異なったものになってました。盾ないですし、武器も変形しますし。あと、導線がわかりにくかったかな、という感じです。時代もだいたいこれくらいの時期かな?っていうのがわかりやすいと思います。

 

ストーリーもあって無いようなものですが、上位者という存在がちらちら伺うことができました。この上位者のおかげで、シリーズ通しての気味悪さは最高でしたね。

どうやら、クトゥルフ神話をモチーフとしているそうです。上位者と交信しようとした組織もいましたし、「啓蒙」というステータスはSAN値の役割をしているのでしょう。宇宙ですね宇宙。あきらかな宇宙人いましたし。あいつが出てきたときは焦りましたね。死ぬかと思いました。

 

ストーリーはあいかわらず、ぼんやりしていましたが、想像して補完したくなるのはシリーズ通して随一でしたね。

 

いとうせいこう『ノーライフキング』について

3月には読み終わっていたのですが、いまさら感想を書きます。とてもおもしろかったです。

 

子供たちの間で爆発的に流行しているゲーム「ライフキング」にまつわる噂が、しだいに子供たちの現実を侵食していく話です。「ライフキング」は呪われたゲームであり、世界を終わらせる力があるという噂が広がっていきます。これに打ち勝つため、子供たちはゲームを攻略し、終いには現実世界でも行動を起こし戦います。

 

読んでて一番震えた場面は、子供たちが徴を並べはじめたとこです。先程は「子供たちの現実を侵食していく」と書きましたが、実際は最初からゲームの世界も現実世界も、子供たちにとっては区別されてないんですね。「現実」といったら全部現実なので当たり前かもしれませんが。この徴を並べるという行為は、ゲームをしていない大人たちにとっては、非現実的なのでまったく理解されません。むしろ徴を撤去していきます。そして、ゲーム機を取り上げるようになるのです。子供たちは世界を救うためにゲームをしているわけですから、ゲーム機を取り上げる大人たちを敵までとは言いませんが、自分たちの行為を邪魔する者として認識するようになっていきます。また、両親も救いたいという気持ちもあるので、苦悩もあります。

この、子供たちの現実と大人たちの現実の齟齬がとても素晴らしく、体が震えました。個人的には、「現実」についての話だったという感があります。

 

『きみのためのバラ』についてと近況について

今、池澤夏樹の『きみのためのバラ』を読んでいる途中です。3月中に『スティル・ライフ』は読みました。あと、いとうせいこうの『想像ラジオ』も読みましたが、今回は言及しないのでどうでもいいですね。おもしろかったです。

 

池澤夏樹です池澤。個人的にツボにはまってます。長編はどんな具合かはわかりませんが、少なくとも短いやつはおもしろいと感じており、感じながら読んでます。淡々と進む感じがいいですね。短編ながら、一編ごとに満足感を得られます。現在の状況において、丁度良い文体の本です。多分もう、すぐにでも読み終わり、より一層の充足感に包まれることでしょう。たぶんたぶん。

 

 

近況についてです。働き始めてから2週間たちましたね。少しの余裕ができたので、本を読み始め、この文章も書けるのです。そういう近況、状況です。あと体調。

人間関係も生活環境も、大学からリセットされ暮らしておりますが、なんとかなっています。なんとかとは、別に困ったことになってないということです。休日も外に出てますし。食事もしてるので快適生活空間だと思います。

やりたいこと、欲しいものはあるのですが、お金がないのでできません。恐らく、お金を貰ってからが本番なのでしょう。お金は貰えるように努力したいと思います。

終わった話について

卒業式が終わった時点で、大学生としての身分も終わった感じがします。また、学生の間に行っときたい場所にも行けたので、あとは、4月からの仕事開始を待っている状態です。このままぬるりと働き始めるのでしょう。恐らく。

3月の中頃の時点では卒業と仕事について、気持ちの整理ができていませんでしたが、今はもうできてます。腹くくりました。やるしかないです。

 

終わったことについてですね。つまり大学です。僕の場合は口頭試問終わっても、なんやかんやあって、卒論については3月の下旬までやらねばならないことがありました。緊張状態が続いていたので、完全に解放された次の瞬間卒業でしたから、気持ちの切り替えがうまくできていませんでした。悪いことに、卒業式の前に一週間ほど実家に帰っていたのですが、葬式がありまして、テンヤワンヤになっていたので静かに考えることはできていませんでしたね。大変でした。それはそれは。

 

卒業式のあと、人と話しをしました。それはそれは長いこと。不安と興奮は言葉と一緒に多少は体外へと排出されていきました。終わったことです。さようなら。

 

ちゃんと段階を踏みながら、現状を受け入れることができている感覚なので、うれしいです。普通に言います、がんばります。